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塩と泥と眼鏡

浅く広いぬるいヲタクの備忘ログ

アイドルは今日も誰かの「かみさま」なのだ。という話。それから少しのアイドル論

 アイドルとは何か。それを語る人はたくさんいる。わたしはそれを語る一人に今からなろうと思う。

 わたしは最近短歌を詠む。Twitter上ではやっている #アイドル短歌 を最近詠むことが増えた。好きな歌人がいて、わたしの短歌はその人の影響を大きく受けている。

 Twitterに投稿したのは数日前だが、詠んだのは3か月ほど前の句と、なんとなく数日前に詠んだ句がこれである。二首にはふたつの共通した語句が存在する。見たらわかる思うが、青春と死である。この二つがわたしにとってアイドルをイメージする単語だ。さらにここに「嘘」を追加してもいいかもしれない。

 わたしにとってのアイドルとは少年が青春を犠牲に生み出した虚像であり、それにはいつだってうっすらと死の匂いがするものなのだ。そう、死の匂いだ。彼らがほんのりと漂わせているそれはあまり死を連想できない匂いなのかもしれない。だからわたしはそれを視認できない。彼らは死の匂いを発するにはあまりに生き生きとしているのだ。でも、確実に彼らには死がつきまとっている。誰の死か。それは「普通の男の子として青春を送るはずだった自分」の死なのではないだろうか。

 その犠牲にされた青春は彼らを応援する消費者=わたしの青春に還元される。言うなら、彼らが捧げた青春はステージの上やブラウン管の向こうでいったんどろどろに溶かされて、彼らを応援することに青春をささげている少女たちに流れ着いて彼女たちの青春になっているのではないか、とわたしは思っている。

 すこし話は戻るが「普通の男の子として青春を送るはずだった自分」の死の匂いがつきまとっているアイドルに神々しさを覚えることがある。その儚さに。少し脱線するが若さと成長の過程は財産であり、それは信仰の対象になりうると思っている。少年から青年へ変わる彼らは「かみさま」になりうるのだ。

 こういうことをいろいろ考えて、いつだって最後に思うことは、アイドルは今日も誰かの「かみさま」なのだ。信仰、尊敬、考察、研究、熱情、愛……向けられるその視線にはたくさんの意味が込められている。わたしだってその「かみさま」を信仰するひとりで、向けるのその視線は尊敬と愛情である、と信じたい。

 

 今日は体と頭の疲れが釣り合わないので、少しだけ頭脳労働をしたくなったから、こんな記事を書いた。まるで1000字以上のレポートを書く気分だった。今日も今日とてジャニーズ以外のアーティストの楽曲をお供に長文記事を書いた。ちなみに今日はさよならポニーテールだ。