塩と泥と眼鏡

浅く広いぬるいヲタクの備忘ログ

掌編習作 #自担をモデルにした小説があるとすればその書き出しは 篇

 あのときの俺が欲していたのは緩やかな坂道を下るような退屈な日々だったように思う。「凡人として生き続けられるのが究極の幸せなのではないか」そんな哲学めいたことを日々考えていた。考えてみればとても悲しい枯れ果てた高校生活だ。そこそこの大学を目指し、そこそこの友達とつるみ、そこそこの部活に所属する、そんな日々で満足していたのだ。馬鹿馬鹿しい話である。まわりのやつらは自分が特別な存在になれると思いこんているのが滑稽で仕方がなかった。お前らも俺も一生普通の人止まりだぜ、と遠くで奴らのことを笑っているのが退屈で面白かったのだ。正直クズだなあ、と今の俺は思う。でも、笑いはしないだろう。今でも「普通が一番」だと考えているからだ。 

 

 ラジオから競馬実況が小さな音で流れているのに気付いたのは朝ごはんを忘れて、遅くに目覚めた時だった。今何時だ、とスマホを手に取れば11時を少し回ったぐらいなのが分かった。休日なのをいいことに寝すぎてしまった。別に今日は誰とも約束をしていないし、もう少し寝てしまおうと思って枕元にスマホを置こうとしたら、チロリン、と耳慣れた音がなった。午後空いてるの、なんて短文が流れて来た。暇なのだから時間つぶしにいいかもしれない。何時にどこで、とそっけない返事を打ち込んで、俺はかかりっぱなしのラジオを止めた。

 

 早朝5時を指差したまま止まった時計を直してもらうために街へ出なければならない。何故それが分かるかというと単純明快で昨日の夕方にはまだその時計は動いていたからだ。亡くなった祖母が大切にしていた古時計で、そういうのにあまり明るくない僕は祖母が贔屓にしていた時計屋に行くことしかできない。しかし、僕はまだ寝間着で外に出る準備すらしていないのだ。現在時刻は午前7時。あたりまえである。こんな時間に時計屋など開いてない。僕はゆっくりと時計の前から動いた。朝ご飯の支度をしなければならないことを思い出した。たしか昨日のご飯の残りが冷蔵庫にあった気がする。