塩と泥と眼鏡

浅く広いぬるいヲタクの備忘ログ

「タイトル未定」の1565字、再びの語らぬ恋文

 

本日6月24日、声優界の自担がTwitterの個人アカウントを休止した。私は正直それを英断だって思った。

彼にエゴサ癖があるのは知っていた。よくラジオとかでもそんな話をしていたのを覚えている。悪意のあるような言い方に聞こえるかもしれないが、そうやってエゴサをして勝手に傷ついていったこともなんとなく感じていた。彼が繊細でネガティブ思考に陥りやすいことも薄々察してはいたけど、何も言えなかったし、言わなかった。

彼がいいのならそれでいいと思っていたから、なるべく黙っていた。でも、今日だけはそういう話をすることを許してほしい。

前からツイッターの休止を彼は考えていたんだと思う。6月6日の21時ごろ、突然「一つ腹に決めたことがあります。」という一文から始まるツイートを投稿した。その日を境に個人としてのツイートが減ってお仕事の情報をRTするだけになった。そのときはこの決意が何だったのかその真意が汲めず怖かった。最悪の事態をいくつか想像した。でもそんなことは無かった。

今日の11時ごろ、ツイッター休止の旨が個人アカウントよりツイートされたのだ。iPhoneのメモアプリのスクショ2枚分の真摯な言葉が全てだと思う。もしかしたら他の理由もあるかもしれないが、そんなことはどうでもいい。これ以上勘繰るのは無粋だ。

自己顕示欲のために、自分の心をすり減らしていたことを生々しく自らの言葉で伝える彼があまりにも人間臭くて、ああこの人、ちゃんと生身の人間だ、切ったら赤い血が流れるんだって思った。

だから、彼がツイッターを休止してくれて一安心したのだ。たぶん本当のファンとか言われる人たちはこんなことを言わないかもしれない。でも、彼の心が安らかであることが一番なのだ。ツイッターがあることで彼が不安になるならそんなものいらない。

この休止をきっかけに事務所主導のアカウントが設立されたし、彼本人のつぶやきが無くなるだけで、何かが変わるわけではない。きっと彼は、もしかしたら単なるドル箱、ないしは親子で同じ事務所だからって意味でかもしれないけれど、事務所に大切にされているんだなと思った。あと、正直個人アカウントが無くなってプライベートが捕捉しずらくなることにより、炎上するとかそういう可能性が減るなあ、って思っちゃったのも事実だ。

 

エゴサって言葉を見て、自分のおたくとしての在り方を考えた。

いま色々な人が挙げている #ジャニオタセブンルール ではないけれど、個人・公式アカウントに必要外のリプライをしない、自担に対してあれしろこれしろと手紙・メール含め直接伝えない、そんな感じのこと(他にも色々あるけど割愛)を特に強く自分に課している。私にも彼に言いたいことや思う事の一つや二つはある。例えば、穴の開きそうなパンツは今すぐに捨ててほしいとか、それこそエゴサはしないでくれとか。

でも、私が何かを言ったところで変わるわけじゃないし、ファンやアンチなんかの一個人の言葉で大きく変わるような人であってほしくないのだ。もしそうならばあんまりに勝手ではあるが幻滅してしまうかもしれないぐらいには彼の信念が好きなのだ。彼にアイドルへ抱くような、おおよそ声優に抱くべきではない行き過ぎた幻想を抱いているのも重々気付いている。そのことを許されようとも思っていない。

私は自分自身がそんな人間だからこそ、彼の決めたこと、彼の行く道を信じて応援するしかないと思っている。これはもう信仰に片足を突っ込んでいると思っている。彼の行く先がどこであろうと、それが炎上や犯罪といった末路を辿らないのであれば何だって彼の行く末を、私が飽きるまで見守るつもりだ。

永遠なんて不確定で無責任な言葉を言えるほど私は肝が据わっているわけじゃない。それでも、彼の未来を、少なくとも今の私は見たいのだ。