塩と泥と眼鏡

浅く広いぬるいヲタクの備忘ログ

きみを好きになって1100日目の、届ける事の無い恋文 #いい推しの日

 11月4日、今日はいい推しの日らしい。偶然にも今の推しを好きになって今日で1100日なのだとさっき知った。今の推し、畠中祐くんを好きになってから、気付けばそんなに経っていたのだ。

 3年と5日前、何を思い立ったのか私は突然とある作品を全話ブッ通しで見た。見終わったときには彼のことが好きになってしまっていた。声で人を好きになったのは初めてだった。生き急ぎ死に急ぎながら、芝居のために生きて、生きるために芝居をする、あの苛烈な魂の刹那的なきらめきに惹かれてしまった。それほどまでに彼との出会いは衝撃的だった。

 3年、同じ人を推し続けたのは久しぶりのことだ。正直飽き性の自覚はある。3年を手前に大体は別の人に目移りしてしまう。前の自担だって、もうすぐ好きになって3年、って時に今の推しに出会ってしまった。その前の自担も、そうだった。だから好きになって3年目の今年は怖かった。今は彼のことがこんなに好きなのに、ある日突然思いもよらぬところから新たな愛しい人が現れて、その思いが離れていってしまうのではないか、そしてあの苛烈なきらめきをいつか忘れてしまうのではないか、って考えながら彼のことを好きだと言っていた。

 一生好きでいます、だなんて無責任なことを言えるほど肝が据わってるわけじゃない。それでもあの時、彼の未来を見たいと思った私は、いまも彼の未来を見たいと願っている。よわくてつよい、切ったら赤い血が流れてしまう、あまりにも人間臭いきみを、飽きるまで応援する、そう誓った私は、まだ彼に飽きてはいなかった。いや、飽きずに好きでいたわけではないのかもしれない。何度も、何度も、新しい一面を見るたびに、小さな好きが生まれて、そして彼の1stワンマンライブで、彼の声に、彼の姿に、彼の在り方に改めて触れて、再び彼のファンになったんだと思う。

 1stワンマンライブ、私は現地には行かなかった。特段予定があったわけでは無いのだが、まあいろいろとあって、行かないと決めた。でも、ありがたいことに生中継があり、家にいながらその熱狂を浴びることができた。家でチューハイ片手にキンブレを握りしめ、その雄姿を見守った。どこまでも彼のライブは楽しかった。でも、本編ラスト曲前のMCを聴きながらボロボロに泣いてしまった。畠中祐という人間の、ありのままをまざまざと見せつけられたからだ。よわくてつよい、人間臭いその姿を。

 "彼こそ音楽"、どこかのキュレーションサイトで彼が紹介された時につけられた見出しは何の偽りも無かったのだ。音を楽しみ、音楽が魔法であると歌うその姿はまさしく"彼こそ音楽"以外の何物でもなかった。また遊びましょう、と約束を交わすその姿が眩しかった。今度は私も現地で一緒に遊びたい! と思った気持ちはいまもまだ胸にある。

 きみを好きになって本当に良かった。今、本当に幸せだ。半年ぐらいの周期でなんでそんなお仕事を!? みたいなこともあるけれど、それもひっくるめてきみを応援していると楽しいことがいっぱいある。ほんとうにありがとう。いま私はきみのことが大好きだ。

 今度の12月、およそ3年弱ぶりに生で彼を見ることになる。LVでは何度も見てきたのに、生でその姿を見るのはあまりに久しぶりなのだ。好きなのに3年も現地に行かないとか、現場欲のない人間であるって自覚は正直めちゃくちゃある。でも、ファンレターに何を書こうかなとか、どんな洋服を着ていこうかなとか、恋する少女のように、いろんなことを考えながらそわそわしているこの時間が楽しい。

 でもきっとファンレターにはこんな恋文、書けないんだろうな。ここはブログで、きみには届かないからここまでの思いを綴れてしまう。届くとなるとどこまでも取り繕ってしまう。恋文では無いけれど、思いの丈を詰めた手紙を持ってきみを見つめに行く日を、楽しみにしている自分はちゃんとここにいて、そんな自分すら、きみのおかげで愛することができる。重ね重ねありがとう。ほんとうに貴方が大好きです。